今回は【『子どもと向き合えない』日本の親たちの苦悩】というタイトルのヤフーニュースを読んで思ったことを書いてみます。
子供と向き合えてるか・・子育て中の人には考えてしまう問題じゃないでしょうか?
まずは、私が読んだニュースの内容を紹介しますね。
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■【『子どもと向き合えない』日本の親たちの苦悩】ってこんなニュースです!
出典:無料写真素材『写真AC』https://www.photo-ac.com/
ヤフーニュースはこれです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180911-00236481-toyo-soci
ただ、ヤフーニュースってそのうち削除されることもあるので、文章だけ以下に書いておきますね。
ネットから読めたよ!と言う人は、以下をジャンプしてもらって大丈夫です。
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ちょっと長いですが、ニュースはここから!
「子どもと向き合えない」日本の親たちの苦難
9/11(火) 6:00配信 東洋経済オンライン
新聞記者を辞めた後、会社員と女性活躍に関する発信活動、さらに大学院生と3足のわらじを履きながらバリバリ働いてきた中野円佳さん。
ところが2017年、夫の海外転勤により、思いがけず縁遠かった専業主婦生活にどっぷり浸かることに。
そこから見えてきた「専業主婦」という存在、そして「専業主婦前提社会」の実態とそれへの疑問を問い掛けます。
■「子どもに向き合えない」問題の深刻
日本経済新聞社が実施し、今年1月に公表した「働く女性2000人意識調査」によると、両立経験がある618人のうち、「仕事と育児の両立中、仕事をやめようと思ったことは?」に「ある」と答えている人は55.5%。
その理由は、
「時間的な余裕がなく、子どもに向き合えない」46.1%
「家事・育児を一人でこなさなければならず体力的にきつい」37.9%
「精神的な余裕がなく、子どもに向き合えない」32.7%
というものだった。
複数回答だが1位と3位が「子どもに向き合えない」が理由だ。
この「子どもと向き合えない問題」。
実はアメリカではとっくに起こっており、議論されてきた。
アーリー・ラッセル・ホックシールドは1997年出版の『タイム・バインド』(邦訳は2012年出版)で、ワークライフバランスが取れていると表彰されるような企業においても、職場がすばらしく居心地のいい環境になっていく反面、家庭での生活は慌ただしく、子どもたちが怒り出したり親を困らせるような行動に出るといったネガティブな反応を示すようになった様子を描いている。
その結果、第一の仕事、第二の仕事(家事育児)に加え、子どもとの埋め合わせの時間=「第三の仕事」が必要になっていると論じている。
アメリカで非常に話題になり、2017年に邦訳されたアメリカ・プリンストン大学法学部長のアン=マリー・スローター氏『Unfinished Business(邦題:仕事と家庭は両立できない? )』も、「子どもと向き合えない問題」をテーマにしている。
著者が国務省の政策企画本部の本部長となり、毎週ワシントンに通う生活をしていた時、10歳、12歳だった子どもたちに問題行動が目立つようになり、家庭を優先し国務省を去ったことをきっかけに書かれた本なのだ。
この子どもとの時間の埋め合わせ、子どもと向き合うこと問題が今、日本でも子育て中の多くの家庭を直撃している。
■「この子はちゃんと育つのかな」
子どもに向き合う必要。
それは、子どもからの直接的・間接的なSOSとして発せられることもあるだろうし、親側の「このままではわが子の発達に影響があるのでは」という懸念や罪悪感から発生することも多い。
私が大学院で高学歴の母に対する調査研究で話を聞いた事例から引用しよう。
2歳、6歳の子どもを持つ30代の女性は、フルタイムで法曹関係の仕事についていた頃のことを次のように振り返る。
「1人目の育休復帰後、朝は(自分が早く出勤するため)夫が子どもを保育園に連れていき、お迎えはベビーシッターさんだったので、私は半年くらい保育園に行ったことがなかったんです。
週末に作り置きしていた離乳食をチンして食べさせてもらって、(午後)8時か8時半くらいに私がぎりぎりで飛び込んで帰ってきて、そのままお風呂に入れて、そのお風呂の後の着替えまで(ベビーシッターに)手伝ってもらって、シッターさんに“さようなら”して、あとは寝るだけみたいな生活でした」
「寝る直前まで両親どっちも帰ってこないような生活を続けて、この子はちゃんと育つのかなとだんだん思うようになりました。
自分がしたかった育児の実態と現状があまりにも違い、いろいろ考えるうちに仕事もうまくいかなくなってきた」
彼女はその後、専業主婦になり、「小学校低学年くらいまでは習い事の面倒も含めて自分がしっかり育児したいという気持ちがあるので、育児の時間を第一に」と考えている。
その後については「非常勤とかパートタイムで、働ける場所を探すことになる。(その仕事が)どこまであるかはちょっと悩みどころですね」と語る。
医療系企業に勤務していた女性も、「子どもとの時間」のために働き方を変えた1人だ。
フルタイムで会社勤めをしていたときのことを次のように語る。
「たとえば本を読んであげたり手遊びをしたりとか、子どもが質問することに丁寧に答えてあげたり、実際に見てあげたりとか。
そういうことに付き合ってあげる余裕を持てたらいいのですが、ただでさえ、ご飯食べさせて、お風呂に入れて寝かせるしか時間が残っていない。
どう折り合いをつけるか、すごく難しかったです」
育休中は、図書館で行われる読み聞かせや、体操教室に通わせることができたが、復帰後それらができなくなり、自分の働き方に疑問を感じ始めた。
2年ほど試行錯誤をするが、結局フルタイムの仕事を辞め、薬剤師の資格を生かしたパートタイムの仕事に切り替える。
「私(が子ども)だったら、これがしたい、あれがしたいと思うことを、やらせてあげられていないと思っていました。
それが結局つらすぎて、フルタイムの仕事は辞めて、パートにして16時に終わるような仕事にしました。
今は子どもをお迎えに行ってから毎日公園で遊ばせたりしています」
「できるだけ公園に連れていきたいし、小学校に入ったら今度は学童で同じような問題で葛藤するでしょう。
さらにPTAはどうなるんだろう、受験はどうなるんだろうとかいろいろ考えてしまい……。先の不安ばかり考え、辞めてしまいました」
背景には、前回記事でも書いたように、保育園のプログラムへの疑問もあったようだ。
「保育園での過ごし方は、すごく大事だと思っています。
(通っていた園は)夕飯は出してもらえて便利だけど、室内で過ごす時間が長く、もっと外遊びしたいだろうなと思っていて、その分家に帰ってからとか週末にリカバリーしたいと思いながら仕事していたんです。
でも家に帰ってからの時間もすごくハードなところに、自分でハードルを上げてしまって苦しかった。
保育園でしっかり教育も受けてるんだなって思えたら、あとは家で無難に過ごしてもいいかなと思えたと思います。
いい園に入れたら、働くうえでも安心だなと思う」
彼女はその後、実際に本人が「この園なら任せてもいい」と思える園に子ども2人を入れてからはフルタイムの職に復帰したという。
つまり、子どもと向き合いたいという気持ちの中には、自分が子どもと時間を過ごしたいというだけではなく、「十全な育児ができていないのではないか」という自信のなさと罪悪感が含まれていそうなのだ。
■一方で「体力を使ってほしい」
では、専業主婦だったら十分に子どもに向き合うことができ、十全な育児ができているのか。
それがそうとも限らない。
元教師で、夫の転勤に伴って転居した先で保育園が見つからず、専業主婦になった女性。
彼女は、平日の子どもの過ごし方について次のように語る。
「水曜は午前保育なので、午後は暇。だから、イベントをやっている近所の児童館に行っています。
ほかの日は家に帰ったらだらだらテレビ見ていることも多いですね……。
NHKのEテレでゲームができる番組があって、ゲームがやりたくて、テレビを見ている感じです」
「本当はもっと、たとえば幼稚園から帰った後も一緒に遊んであげたりとか、テレビから離せたらと思うのですが、夕方はやることがあったり、疲れていたりすると放置になりがちで。
おもちゃも散らかり放題なので、つい怒ってしまう。
毎日怒ってますね。私が構ってあげていないからそうなっているので、ごめんねと思いながら……」
これには多かれ少なかれ共感する方も多いのではないか。
前回書いたように共働きであれ専業主婦であれ、子どもが時間を持て余していれば親たちには「体力を使えるところはないか」「早く寝てほしい!」という切実な願いが出てくる。
以上の事例は未就学児のものだが、小学校入学後も急に子どもが大人になるわけでもなく、親の「子どもと向き合えない」問題は続く。
むしろ宿題を見るなど教育面でやることが増えていくのが実態だ。
「子どもとの時間」。
のど元過ぎた人からは、貴重なキラキラした時間かもしれないが、渦中の親たちにとってはつねに葛藤をもたらすものである。
つまり、長すぎると持て余すが、短すぎると渇望する。
親子には、ほどよい距離、一緒にいるのにほどよい時間の長さがあると思う。
もちろん個々の親子によっても異なるだろう。
ただ、今の日本の多くの雇用労働者の働き方と、保育園および幼稚園、学校や学童のシステムだと、その「ほどよさ」の確保が難しい。
親子の時間は、父が長時間労働の会社員で母が専業主婦などの場合はものすごく長く、一方で、共働きの場合はものすごく短いという二極化になりやすい。
その極端さに、親が四苦八苦しているのではないかと思うのだ。
■理想的な「放課後の居場所」はあるか
1990年代前半に10歳の子どもたちの家庭に調査に入り、アメリカの家庭教育の格差を描いた『Unequal Childhoods』という本がある。
そこで描かれるのは、中流家庭がスポーツや音楽などの活動とその送迎のめまぐるしいスケジュールに支配され、家族で過ごす時間やきょうだいで仲良くする様子が非常に少ないという実情。
それに対し、労働者階級のほうが子どもたちが自由に遊びを生み出し、きょうだいや近所の異学年の友人と親密な関係を築いている。
同書に出てくる労働者階級、貧困家庭はいずれ就職するときに役立つであろう社会的なスキルが得られる機会が少ないほか、治安が悪いエリアでの悪友付き合いにより犯罪などに巻き込まれていくなどの深刻な問題点がある。
10年後の調査で明らかになる子どもの学業達成や将来展望においては、中流家庭と大きな差がついてしまうという実態もある。
だが、親がアレンジした習い事やイベントがないとすぐに「つまんない」と言う中流家庭の子どもよりも、子ども同士でルールを決めたり変えたりしながら工夫して楽しむ方法を生み出すほうがクリエーティブな側面もあると、著者は中流家庭に批判的なまなざしを向けている。
はたして子どもは幼稚園や保育園、小学校が終わった後の放課後、どのような環境でどのように過ごすのが理想的なのだろうか。
池本美香編『子どもの放課後を考える―諸外国との比較でみる学童問題』では冒頭に、「かつては、在校時間外の自由な時間に、家庭や地域社会において、子どもは人格形成や情操教育につながる様々な体験をしていた」との問題提起がある。
つまり、日本でも従来は家や近所で大人の手伝いをすること、地域や団地のような場所でさまざまな年齢の子どもと交流すること、自発的な遊びや自然体験などができた。
が、昨今では「女性の就業の増加で地域活動の担い手が減り、都市化とともに自然の空間が減り、モータリゼーションとともに交通事故や犯罪の不安も高まり、子どもが社会を体験できる機会が制約されつつある」。
つまり、大人がついていないと危ない環境が増えるなか、共働き世帯が増えることでその「大人」の確保も難しくなっている。
そこで、この本は「家庭や地域社会といった“学校外”での子どもの教育機能が低下するなか、この学校外教育の機能を再構築する必要性」を訴え、各国の学童保育などの紹介をしている。
たとえばこの本ではスウェーデンでは2000年ごろから親の就労のためというよりは子どもの権利として、子どもにとって望ましい保育環境を整備している様子や、フィンランドでは就業時間が8~16時で、学童は17時に閉所することなどが書かれている。
保育園そのものや学童保育の質を上げ、さらに居場所の量を確保して親の就労にかかわらず通えるような仕組み。
そして子どもが持て余す時間が長すぎるか短すぎるかの二極化にならず、親が17~18時といった“そこそこの時間”に帰ってこられる働き方。
この両輪が必要ではないだろうか。
■長時間労働ありきでは、無理だ
この連載では何度も繰り返していることだが、日本社会は、企業に雇われている人は長時間労働ありきで、家事や子どものケアをするといったことは専業主婦が担うことを前提にして成り立っている。
しかし、共働きも増えるなか、過去実現していたそれらのことを従来どおりの態勢で実現しようとすると、無理が生じる。
家庭内で育児をすべて担うのではなく、外部の力を借りられること。
でも外で子どもが不自由を強いられるのでなく、羽を伸ばせる環境があること。
そして、「早く食べて」「早くお風呂に入るよ」「早く寝て!」と追い立てなくても日々を回せ、子どもの話を聞ける最低限の時間を確保できるような時間に親が帰ってきて、子どもとそれなりに向き合えていると感じられること。
そうした生活を求めることはぜいたくなのだろうか?
前回書いた習い事の話(「『週5で習い事』の教育過熱はなぜ起きるのか」)のように、それぞれの家庭がお金をかけることによって教育や子どもが過ごす時間の質の問題を解決するのではなく、社会全体のあり方として保育や学童の環境を議論していくときが来ているのかもしれない。
中野 円佳 :ジャーナリスト
記事ここまで!
■ちなみにわが家の放課後の過ごし方は・・
息子の放課後の過ごし方ですが、3時半に帰宅してから習い事のない日は、おやつを食べてしばし休憩してから宿題やらベネッセのちゃれんじ一年生をします。
そうするともう4時半近くになりますから、それからテレビを見たり家にあるおもちゃで遊んだり、本を読んだりしています。
5時半~6時には晩ごはんを食べ始め、7時にはお風呂、8~9時の間には寝る感じです。
晩ご飯が終わってお風呂までの時間やお風呂で、子供の話を聞くようにしています。
母親が家にいて、昭和的な感じでしょうかね(^^;)
話がそれますが、私の両親は共働きだったのであんまり話を聞いてもらった覚えもないんですけど、祖父母と同居だったので祖父母が面倒を見てくれたと思いますね。
もう亡くなっていますけど、今になって祖父母には感謝だなぁ・・と思うようになりました。
話を戻しますね。
息子は翌朝6時半に起きて、7時半には家を出ます。
学校まで子供の足で片道25分かかりますから、小1の息子は登下校だけで今のところ疲れるようです。
週末はお父さんと遊ぶのを楽しみにしていて、公園や図書館、近所の電気屋にマクドナルドなどに出かけたりしますね。
家で遊ぶこともありますけど、やっぱり子供ですから外に出るのが楽しいようです。
平日も外に出たいのかもしれないですが、私に気を使って我慢しているのかもですね。
実際、習い事の送り迎えや家事で余力がないんですけどね・・
放課後、子供だけで遊んだりもさせたいんですけど、まだ小1ってこともあって正直怖いです。
このヤフーニュースにもあったように、昔と違って大人の目が足りてないです。
また、学童保育に入っている子が大半なので、息子のような普通の時間に下校する子は遊ぶ子もいないんですよね。
■子供に向き合う時間は必要だけど、そのやり方は子供にもよる
私自身もちゃんと子供に向き合えてるかなぁ??と思ったりするのですが、学校のある日は今日あったことを話す時間を20分くらい作るようにしています。
うちの息子はグレーゾーン?と思われるフシもあるので、しっかり話を聞いてあげたいと、また聞いてあげないといけない子だと思うんです。
何かあったら親がついてるよ!という安心感を息子に持たせて、学校に行かせたいんですね。
今は家にいますから、働いているお母さんよりは少し時間の融通が利きます。
例えばフルタイムで働いている人は、その20分も難しいんだろうなぁと思います。
時間的にもお母さんの気持ちにも余裕がなくなってしまうのは、私も長く勤めていたので理解できます。
ただ、向き合い方もその子によると思うんですよね。
あまり手のかからない子もいるでしょうし、そんな子だったら毎日話を聞かなくても3~4日に一回とか週末だけでも安心感を持てるんじゃないかなと思うんです。
逆にしっかり向き合わないと、おかしくなってしまうケースもあるでしょうしね。
まぁどんな子でも全然、向き合わないのはダメですけどね。
小さい間は公園や児童館などいろんなところに連れて行って、体験させた方が視野が広がるしいいな~とは思います。
それも親の余力次第ですよね。
理想はそうだけど、家事だったり親も疲れていたりすると、たまにしか出来ないこともあると思うんです。
それでも子供と少しでも向き合って安心感を持たせることが出来れば、いいんじゃないかなぁと個人的には思っています。
あとは、やっぱり育児と仕事を天秤にかけて、どっちが今の自分や子供にとって大事かってことですよね。
周囲の協力を得ながら稀に器用な人もいますけど、核家族が多い中でだいたいはどちらかに傾くような気がします。
どっちも欲しい・・はやっぱり難しいんじゃないでしょうか?
ご意見、ご感想などがあればよかったらコメントを残してくださいね。
余談ですが、このニュースを読んでチャゲアスの名曲『はじまりはいつも雨』を思い出しました私(^^)
♪僕は上手に君を愛してるかい、愛せてるかい?
どうなんだろうなぁ・・??
大きくなったら息子に聞いてみたいです。
うれしい答えが返ってくること期待して、日々育てていこうかな・・
自分は子供に向き合えてるか?って気になる子育て中の親御さんの参考になればうれしいです。